福山市人権平和資料館

2007年12月7日訪問

 山陽新幹線の福山の駅のすぐ北側に城の天守閣が見える。
 その一帯は「ふくやま文化ゾーン」としてさまざまな文化施設が集まっている。
 駅から城の西側に回り込むと、まず広島県立歴史博物館、ふくやま美術館と、豪壮な建物が続く。
 さらに進むとふくやま文学館があり、そのむこうに福山市人権平和資料館がある。
 独立した立派な建物だが、そこに至るまでの建物に比べると簡素に見える。

      

 券売機で入場券を買い求め、中に入るとロビーで案内ビデオが見られるようになっている。
 そこには展示理念を表すパネルもある。

      

 館内には2つの常設展示室がある。
 1階が「平和部門」の展示室Tで、「福山空襲の実相と戦時下のくらし」と題した展示である。
 2階の展示室Uは「部落の歴史と解放のあゆみ」と題した「人権部門」の展示である。
 平和の展示では、タイトルどおり、福山市民から見た戦争の姿が語られている。

      

 戦時中の教育やくらし、空襲のようすなど、体験者が今の子どもに伝えたい内容を、写真や模型や資料で表している。
 伝える、という平和博物館の基本の機能を果たしているといえる。
 被害の面から戦争をとらえ、それを平和を求める活動にもつなげている。
 ただ、加害面にふれることはない。
 福山空襲に加えて、「もう一つの福山空襲」ということで軍施設への空襲にも言及しているし、資料には軍需産業の存在も示されているが、それについては語られない。

 2階の人権の展示は、部落問題が中心である。
 これもタイトルどおり。
 豊富な資料と展示物で部落問題学習が深められそうである。
 ただ、広い意味での人権、グローバルな視野の人権という意味では、あまり広がりはない。
 南北問題や環境問題などの視点から世界平和へつなげるようにはなっていない。 

 もとより人権と平和は密接なものであるから、フロアは違っても一つの資料館でともに展示することはそれなりの意味はある。
 郷土の戦災を知ることは大事だし、部落問題の解決はいまなお日本社会の重要課題である。
 パンフレットにある「人権尊重と平和の確立は表裏一体」という言葉は、まさにその通りである。
 しかし同じパンフレットの「人権と平和は21世紀のキーワード」という言葉ほどには、現代と未来への目配りは見られない。
 過去を語るのに忙しい。
 そう思いながら、外に出た。
 周囲を見ると、その展示の方向もうなずけるような気がした。
 隣は遺族会館である。
 そして、護国神社があり、戦死した兵士の慰霊碑が立ち並ぶ。

        

 ひとつではなく並ぶのは、戦闘場所や連隊ごとに別々に碑があるからだ。

    

 ニューギニア方面、マリアナ、萬寶山、ノモンハン、硫黄島、メレヨン島、シベリヤ抑留者、第65旅団、陸軍少年飛行兵、満洲(ママ)開拓青年義勇隊……。

    

 各慰霊碑にはさまざまな肩書きがついている。
 体験した人には、いっしょくたにはできないのだろう。
 自分の体験はどこまで行っても個人のものであり、家族や戦友という親密な人への慰霊の思いが強いのであろう。
 戦争が過去のものである限りは、個々の体験、記憶、思いに依拠する方がより濃密に切実に戦争をとらえられるので、それでよいであろう。しかし、戦争と平和を、現在と未来のグローバルな問題としてとらえようとするならば、それでよいのであろうか。
 たとえば「満洲」開拓を、その地での苦労や引き揚げの辛苦からのみ語るならば、日本の「開拓」によって土地を奪われ家を追われた人たちへのまなざしは抜け落ちてしまうのだ。
 福山市人権平和資料館を訪れて、身近なところから人権や平和を学ぶことの大切さと、広い視野と複眼的な視点を持ち、相対的なものの見方をすることの大切さとを感じた。



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